残念なお知らせ。。。

 先日、同僚議員がPCR検査で陽性となってしまいました。

 

 そこで、活動において、人と会うことも多くなったこともあり、念のため、PCR検査を受けてみました。

 

 結果は陰性でした。

 

 最後の接触から、2,3日たたないとウィルスが出ないかもしれないということで、もう一度、PCR検査を受けましたが、、、、、

 

 なんと今度は「陽性でした」

 

 今のところ、熱もなく、酸素飽和濃度も、96~98%の間なので、無症状化と思います。(ただもともと花粉症があるので、鼻詰まりは少しありますが)

 

 ということで、保健所の指示のもと1週間は外出が出来ません。

 

 大事な時ですが、仕方ありません。養生したいと思います。

 

 こんな時でも、後援会の方や、友達が、活動を手伝っていただいています。

 

 本当に、心の底から感謝申し上げます。

 

 

 

なぜ出馬なのか?その6~これまでを振り返る、現地建て替えの公約破れる編

病院特別検討委員会がスタート!1病院から2病院の建て替え議論へ

 答申が出たので、議員による特別委員会での議論がスタートしました。

 

 今でもよく覚えていますが、第1回目の審議では、市長の政治姿勢を問う保守系議員が続出し、審議に入るのに約1時間以上もかかりました。

 

 この日は、これまでの説明のみにとどまりましたが、6月をめどに、上本郷&東松戸の2病院の建て替え案を市から提案するとの話がありました。

 

病院の建て替え構想8案!審議へ!

 病院の建て替え場所を5か所、上本郷、千駄堀、運動公園、紙敷、高塚新田

に絞って、その組み合わせで8例の案が出てきました。

 

kousouan1.pdf (city.matsudo.chiba.jp)

 この8案の中で、市の推奨案は、構想6&7でした。

 構想6案は、上本郷に急性期病院として450床、高塚新田の東松戸病院を日常支援病院として250床で建て替えるもので、市長マニュフェスト通りのものでした。

 構想7案は、この逆パターンで、上本郷に日常支援病院を持ってくるもので、こちらもほぼ公約通りのものでした。

 

現地建て替えの公約崩れる~構想3を市の推奨案に!

 23年の9月議会、特別委員会で、保守系会派から、「構想6,7案とも急性期病院は450床となっている。

 答申では「600床は必要」となっているので、容認できない。」との声が上がりました。

 

 集中的に委員会が開催され、議論されましたが、とうとう、市長から、急性期病院を千駄堀に600床、日常支援病院を上本郷に200床で建て替える「構想3案」(東松戸病院から機能を移転)を推奨案としたいとの話が出てしまいました。

 

 まず、公約では、「600床は過剰で赤字に原因。450床に縮小すべきだ!」の部分はこれで完全に公約違反です。

 

 その員会では、私から市長に対して、相当な言葉で質問しましたが、考えは変わりませんでした。

 

 病院現地建て替えで議員になったもののわずか1年で、その公約が破られる現実を突きつけられるとは、、、、、思いもよりませんでした。

 

 市長に対する疑念は、又、強くなっていきました。

 

構想3案での公約部分を守れ!病院問題次のステージへ

 構想3案では、まず千駄堀に上本郷の急性期病院を移すが議論となり、紙敷(現東松戸)とどちらにするか?が議論となりました。

 

 私としては、構想3案では、公約の「上本郷病院の耐震性に問題のない2~5号館は使うべき!」と「救急病院は、地理的に松戸市の中央にあるべきだ!」の二つの部分は、なんとか守られるため、セカンドベストとして頭を切り替え議論に臨みました。

 

急性期病院をどちらに? 千駄堀VS紙敷

 まずは、建て替えが急がれる上本郷の急性期病院をどちらにするのか?の議論が委員会で交わされることになりましたが、個人的にはベット数は600床ではなく500床とか、550とかにすべきとの思いがありました。

 その後、喧々諤々の議論が約2年続き、決まったのはどちらか?

 

 皆さんのご存じの通りですが、ここでも裏で、、、、(つづく)

 

 

 

 

 

 

なぜ出馬なのか?その5

現地建て替えを検討する審議会の結成

 ようやく11月の市議会選挙へ、立候補を決めた私ですが、その前の9月議会、病院問題で動きがありました。

 

 市長提案で、病院の現地建て替えについて、有識者、公募市民で構成された審議会をつくる補正予算が可決となったのです。

 

 知識不足なので、「建て替えを決めるのに、わざわざこうした審議会をつくらないといけないんだ」と思うくらいであまり気には留めていませんでした。

 

 しかし、この審議会が後に大きな意味を持つになろうとは思いもよりませんでした。

 

 とりあえず、公募市民3人だったので、商店会の友人(医学部受験の経験あり)に頼み応募してもらい、こちらは公募市民となることが決定となりました。

 

見事当選!原ゆうじ市議会議員へ

 

 この市議選で私は、「現地1号館のみの建て替えは、これまでに検討されていません。一番安く済むであろうこの案をまずは検討し、移転案と堂々比較、そのうえで決定すべきです!」と訴えました。

 

 そして、平成22年11月、原ゆうじは、市議会議員初当選を果たしました。

 

いざ!市議会へ!病院問題決着を!

 そして、当選から間もなくの12月議会、議会での病院特別委員会のメンバーともなり、いざ!病院問題決着をと意気込んでいきました。

 

 しかし、病院問題は、まず、現地建て替え検討委員会での審議にまかされることになり、議員として、この問題の議論への参加が事実上できない状況となってしまいました。

 

 委員会は、有識者として、医師が4人入り、他にコンサルタントの方、公募市民3人の構成で、議論は当然、医療に詳しい医師が常にリードしていきました。

 

 その中で、まず議論となったのは、450床で三次救急を担う市立病院が成り立つのか?ということでした。

 

 医師たちは現行の600床ベースが必要との主張であり、600床なら1号館の建て替えは150ではなく300床ベースが必要ですが、それだとスペース的に困難なことが分かっています。

 つまりベット数600床なら現地建て替えは難しくなること意味していました。

 

友人と連夜の勉強&作戦会議

 このままだとマズイ! 

 そもそも病院は赤字です。その原因は、入院稼働率の低さです。

 当時は1日当たり約400人の入院患者さんでしたが、採算ラインは90%稼働の540人。あと140人が必要でしたがこれは難しい。

 こうした勉強会を病院に詳しい方も入れて友人とともに行いました。

 そして、こうした経営面からの主張で、何とか450床の正当性を議論してもらいました。

 

委員会の答申が出る!市長に疑念!

 翌年の3月、とうとう「現地建て替えは困難」との答申が異例の採決で決まってしまいました。

 

 又、もう一つの市立病院、東松戸病院の早期の建て替えを望む提言も出されました。

 

 今思えば、この段階で、市長に対する最初の疑念が生じたと思っています。

 

 現地1号館の建て替えを公約し、当選したのに、なぜ委員会を設置、議論を丸投げしてしまったのか?

 医師の立場からすれば、当然、小さいよりも大きな病院が良いと判断するだろうに、なぜ、医師を多く委員にしてしまったのか?

 

 こうした疑問を市長にぶつけたのを覚えています。

 

 この答申&提言を受け、病院の議論は、上本郷だけでなく東松戸病院の建て替えも議論されることになっていくのでした。       

                       つづく

 

 

 

 

 

 

 

なぜ出馬なのか?その4

 さて、民主党内での候補選に勝利し、いよいよ市長選へと進みましたが、予想通り、市立病院の建て替え問題が争点となりました。

 

本郷谷市議、現地、上本郷での建て替え案を主張!

 本郷谷当時市議は、川井当時市長の紙敷(現東松戸)への移転案に反対、現地、上本郷での1号館のみの建て替え案を対案として訴えを行いました。

 

 主な主張は3つでした。

①救急のかなめである市立病院は、地理的に松戸の中心部にあるべき!

②寝耳に水!紙敷移転決定のプロセスを市民へ明らかにすべきだ!

③1~5号館と建物が5つあるうち、耐震性不足なのは1号館のみ。であれば、1号館のみを建て替えるべきだ!

 

現地建て替え64億円!の本当の内容とは?

 この主張の内、特に③が、大きくクローズアップされ注目を集めました。

 特に、言葉として1人歩きしたのが、「現地建て替え64億円」のフレーズです。

 

 これは③の主張通り、全体613床の病院の内、耐震性のない1号館300床のみを

建て替えるということですが、加えて、1日当たりの平均入院患者数約400人を考慮して150床に縮小して建て替えるとの主張を本郷谷さんはしていました。

 

 現地での病院全面建て替えではなく、1号館のみを300床から150床へ減らしての建て替えだから、建設費は、64億円としたと我々は聞きました。

 

 対しての移転案は、ベット数600床、土地購入金を除いて約200億円の費用が掛かることが基本計画で明らかになっていました。

https://www.city.matsudo.chiba.jp/iryoutoshi/iryoutoshi/tatekae/keika.files/20101019181412.pdf

 

市長選に勝利!本郷谷新市長の誕生!

  紙敷への600床全面移転か、現地での1号館のみを150床で建て替え、全体で450床とする建て替え案か、

市を二分するかのような議論となりましたが、結果的には、皆さんご存じの通り、本郷谷さんの勝利となりました。

 

 地元上本郷では、普段の倍近い投票率となり、大きく新市長誕生への原動力となりました。

 私も運動に加わり、かつ、投票したその一人として、言葉にできないくらいうれしかったのを覚えています。

 

パン屋が、松戸市議会議員へ!

 これで、病院問題は決着したと私を含め地元の方々は思ったはずです。

 

 移転反対への陳情からはじまり、移転反対の市議会議員探し、住民投票、妻の入院、市長選と約1年間、本業の傍らこの病院問題にかかわってきましたので、ようやく「ほっと」し、子供が所属する少年野球チームにも参加できるようになっていました。

 

 そうした平穏な暮らし?にもどったのもつかの間、地元の皆さんと、新市長との懇談の場で、今後の進め方として、議会対応が課題ということが明らかになりました。

 

 当時も今も、自公系議員が多数を占める市議会。

「このままだと現地建て替え案は、議会に提案しても通らない可能性がある」と本郷谷さんから話がありました。

 

 その後、8月の終わり、地元町会(六中の先輩たち)から呼び出しがあり、「市長とも話したが、原さん、是非とも、市議会議員になってもらえないか」との話がありました。

 

 当然、本業(パン屋)がありますので、「即答は出来ません。妻とも相談してみます」と返事をしました。

 

 その後、色々な人から話を聞きました。

 病院問題をなんとか解決したいとの思いがある一方で、パン屋と議員の兼業は出来るのか?との不安も、、、、そうした中、一緒に市長選で応援した元市川市議のT氏(当時は、松戸市の特任部長)と話し、決断の後押しをもらい、

2週間あまり悩んだ末、11月の市議会選挙に立候補することを決断しました。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ出馬なのか?その3

 いざ!決着は市長選へ、、、

 

 ということで、病院を守る最後の戦いと意気込んでいた平成22年3月、川井前市長との戦いの前に、立ちはだかったのが、某市内民間病院の総長でした。

 

ポイントは病院問題が争点!

 しかし、当時、本郷谷現市長(当時は市議会議員1期目)が所属していた民主党ではもう一人、市長候補に名乗りを挙げていて、それが病院の総長でした。

 そして、その総長の主張も「病院現地建て替え」でした。

 

 市長選は、明らかに、川井前市長方針の紙敷(現東松戸)への全面移転か、本郷谷現市長方針の現地1号館の建て替えという病院問題が一番の争点でしたので、医療の専門家である病院の総長の主張のほうが、同じ内容を言ったとしても、より現実的で実現性のあるものと捉える方も多く出てきました。

 

民主党内での候補者争い!病院総長VS本郷谷

 そして、当時の民主党は、政権交代となったばかりで、とても人気がありました。

 なので、この民主党内での市長候補選は当時注目されていたように記憶しています。

 そしてこの戦いに勝たなければ、民主党の支持で、市長選に出ることが出来ません。

 今から思えば、ここが現市長にとって、最大の正念場であったように個人的には思えます。

 

 住民投票の署名活動など、一緒に活動してきたこれまでの経緯からも、何とか本郷谷さんをと思っていましたが、聞こえてくるのは劣勢の噂でした。

 

 そして、この勝負は、無作為によるアンケート調査結果で決まると聞いていました。

 

運命のアンケート調査結果は?

 私は、民主党員でもなかったので、詳細は分かりませんでしたが、結果は、総長側の勝利と聞きました。

 

 終わった、、、

 

 と思いましたが、本郷谷後援会の方から連絡があり、「調査会社と総長側の病院とで、取引関係があったようで、それが原因で今回の結果は無効になった」と聞きました。

 

 詳細は、よくわかりませんでしたが、どうやら首の皮一枚でつながった様でした。

 

 同時に、この候補者争いは、民主党の理事会で決定されるとも聞きました。

 

 こうなると、私にはもう祈ることぐらいしかないなと思っていましたが、ある日の朝、電話が鳴り、「今から2時間後に、理事会が始まる。商店会をはじめ、地元は、本郷谷支持ということを、六区の支部長であるU代議士に伝えてくれないか」との依頼があり、U代議士の携帯番号を告げられました。

 

 すぐに町会長たちと相談し、結局、電話をすることに、、、、

 国会議員に電話するということで、緊張しましたが、思い切って電話。名前を告げると、「原さんのこともお店のことも知ってるよ」と言っていただき、ほっとしたのをよく覚えています。

 そして、用件を伝えると「お気持ちはよくわかります。私も上本郷の人間ですから」と言っていただきました。

 

 そして、その日の夜。本郷谷さんから電話があり、「何とか私に決まった。いろいろとありがとう」と言われ、すごくうれしい気持ちと、これでようやく市長選のスタートラインに立ったと改めて思いました。

 

 そして、ここから約1か月半、6月に向けての市長選応援が始まることとなりました。  (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、出馬なのか?その2

(前回からの続き)

住民投票、採決の結果は?

 本当に苦労して集めた署名。皆さんの想いが詰まった署名。

 松戸市で、初めての住民投票が行われるのか?

 

 採決の前、実は、代表者3人が10分以内で議場で、住民投票についてフリートークを行いました。

 

 初めての議場で、一般市民が話すということで、さすがに緊張しました。

 

 このような経緯を経ての採決はどうなったのか?

 

 残念ながら、反対多数で否決!となってしまいました。

 

 この結果にも、ガッカリしましたが、さらにショックだったのが、住民投票のための署名を一緒になって集めた議員二人が、賛成してくれなかったことです。

 一人は、その日、欠席。一人は採決時、退席してしまいました。

 後で、この理由を聞けば、、、、

 「会派で反対と決まってしまったので、、、、」とのこと。

 その際、思ったのは、「採決結果が公表されないからではないか」ということです。

 

 傍聴して採決結果を見に行かなければ、こうした議員の賛否態度が分からないことにも憤りを感じ、「議会って何なんだろう?」と思ったことは今でも思い出します。

 いずれにしてもダブルのショックでした。

 

決着の場は、市長選で、、、

 この結果を受けての地元での会議で、本郷谷さんから「ここから先、病院1号館の現地建て替えを進めるには、市長を変えるしかありません!私をできれば応援していただきたい」との話がありました。

 

 そして、町会長さんたち、商店会役員とも話し、「町会、商店会は基本的に政治的な話には関与しないのが筋だと思う。しかし、今回は、病院がなくなるのは、地元への影響が大きい」

 こうした意見が多数を占め、それぞれが出来る範囲で本郷谷さんを応援していこうということになりました。

 

 いざ、移転方針の川井前市長との対決!と思いましたが、その前に、立ちはだかったのが、一人、

 某市内総合病院の総長でした。それは、なぜか(続く)