なぜ、出馬なのか?最終回、 悔しかった上本郷病院跡地の売却、市長の公約違反

千駄堀新病院にほぼ決定!

 紙敷VS千駄堀の議論が白熱しましたが、結局、24年の9月、千駄堀の基本計画案が可決となり、事実上、場所的には、千駄堀での新病院建設が決定となりました。

 

結果的には約200億円!の事業費が、、、

 基本計画案では、135億円の事業費でありましたが、2度にわたる入札不調があり、結果的には平成26年、清水建設が、工事費約198億円で落札し、平成29年10月には新病院完成となりました。

 

600床は過剰!2回目の市長選で激論!市長との決別

 25年当初、市長から、次期市長選の応援依頼の話がありました。

 そこで、地元の議員をはじめ、前回の選挙で応援した議員を中心に話し合いを持ちました。

 そこで、決まったのは、公約の一つであった「病床数の削減」を言って了承があれば応援ということでしたが、市長との面談ではあっさりとNO!の返事。

 であれば、こちらも応援は無理ということを伝えました。

 ここが、市長を支持する事への決別の瞬間となりました。

 

 その後、平成29年の暮れ、新病院開院され、上本郷病院はとうとう跡地となってしまいました。

 上本郷病院周辺のお店や住民の方からは、知らされていた構想3案、つまりは、日常支援病院としての開院を望む声が日に日に高まっていました。

 

 私も、その構想3案について、新病院が千駄堀と決まったのだから、早く、東松戸病院の上本郷への移転、耐震性に課題の無い2~5号館の利用について話し合いを始めるべきだ!と何度も一般質問等で訴えましたが、まるで動く気配すらなく、当然、病院の特別委員会の開催も開かれませんでした。

 

跡地の警備費だけで3000万円!募る市長への不満!

 前にも書いたように、住民投票での3つの訴えの内、一番だったのが、「使える建物は使うべきだ!建て替えは耐震に問題のある1号館のみで行うべき!」でしたので、この部分を守るためには、是が非でも、構想3案、つまりは2~5号館を改修して、千駄堀の後方支援病院としての日常支援病院の開院をしなければなりません。

 

 又、千駄堀新病院が出来た後の上本郷旧病院跡地周辺は閑散。そして何も決まらないまま年3000万円もの警備費が使われていました。

 

 何とかせねば!と思い市長への直談判を、町会長たちとともに重ねましたが、一向に事態は変わりませんでした。

 そして、その間にも、次々に、旧病院周辺のお店は閉まっていきました。

 お店の人から、「原さん。申し訳ないけど先が見えない。いつになったら跡地活用は決まるのか。限界です」と言われたことが胸に突き刺さりました。

 

完全に最後の公約も崩壊!上本病院跡地売却へ!

 そして、この病院跡地や東松戸病院の今後については、市長お得意の審議会へに丸投げが行われ、こちらで審議されるようになり、我々議員は手出しすることが出来なくなっていました。

 

 そして、とうとう、答申の中で、旧病院跡地の売却は妥当と出てしまい、その後に、市から、構想3案の撤回と病院跡地の売却の提案が出され、残念ですが、決定となってしまいました。

 

 ここで、住民投票からの訴えの内、救急病院は地理的に松戸の中心で!の部分以外すべて実現は出来ないこととなってしまいました。

 知っているお店が次々に閉店、苦労して集めた住民投票での署名時の訴えが実現できないことが事実となってしまったこと。

 

 これまで、自分は何をしてきたのか?自問自答を繰り返す日々を過ごしました。

 

原ゆうじ、市長選出馬へ、、1度は断念けど今回は、、、

 4年前、地元のこれまで活動を共にしてきた方々との間で、市長選をどうするか?が議題となり、一部の方から出馬したらどうかとの打診もいただきました。

 

 しかし、後援会とも相談しましたが、「まだ、跡地がどうなるのかの最終決定はされていない。本郷谷さんを連れてきたのはお前だし、それを信じてきた人がほとんど。今は数が少なくなったかもしれないが、まだ、支持の人もたくさんいるから、やめたほうが良い」と諭され断念をしました。

 

 しかし、その後、病院跡地の売却先が決定、要望通り一部、民間医療機機関が入ることにもなりました。

 このころになると、議会では、今度は市役所の建て替えを含む新拠点ゾーン開発をはじめ、新焼却施設建設、新松戸駅東口開発&快速列車停車事業など、大型3大事業が大きな議題となるようになってきました。

 

12年前のキャッチフレーズは?今度はダメでしょう!

 3大事業をすべて行うとしたら、少なくとも総事業費は1400億円位はかかるのかなと思います。

 一方で市の借金は、本郷谷市政になってから増加の一途です。

 平成23年894億円まで下がった市の借金(一般会計)は令和2年には1213億円に膨らんでいます。

 これまで、大金を使う事業で、病院建設がありましたが、これは基本、企業会計です。こうした企業会計等を除いた市の借金で増えているのが問題です。

 ちなみにこの10年で市川、柏市の借金は減少しています。

 

 このままでは松戸市の借金は膨らみ未来につけを回すことになります。

 平成22年本郷谷市長の初当選時のキャッチフレーズが「財政のプロ」というのが思い出されます。

 

一番の引き金、市役所の移転!12年前と真逆!

 12年前の真逆のようなことが起きている松戸市ですが、市役所の建て替えはまさにその象徴と思います。

 

 本郷谷市長は、市役所を新拠点ゾーン内の法務局横へ全面移転を考え、基本構想に「新拠点ゾーンへの移転が最適」と結論付けています。

 

 そもそも市役所の建て替えは、建物の耐震性不足から建て替えが必要なわけですが、今の市役所は、建物が4つあるうち2つの建物は耐震性には問題がありません。

 となれば、当然、使える建物は使おうよ!だから現地建て替えで!となると思いきや、なぜか全面移転。

 

 まるで12年前と真逆のことを川井前市長と同じことを市長はしようとしているとしか思えません!

 

 しかも現地よりも4割も面積が少なく、駐車場も少ないなど課題の多い土地をわざわざ購入してまで、、、、、、

 

 人は変わるものというのを実感しました。

 

 公約も守れないどころか、今度はまるで逆のことをしようとしている。

 借金は増え、将来が心配。病院跡地周辺の方々の想い。その他、、、、

 

 今度はダメでしょう!原ゆうじは出馬を決心しました。

 

 そして出馬の想いは、未来の松戸をどうするのか?も当然あります。

 お金がない中で、ワクワクするような松戸、全世代が暮らしやすい松戸実現のためにはどうするのか、したいのか?

 原ゆうじのアイディアを次回以降、お伝えしたいと思います。

 

 

残念なお知らせ。。。

 先日、同僚議員がPCR検査で陽性となってしまいました。

 

 そこで、活動において、人と会うことも多くなったこともあり、念のため、PCR検査を受けてみました。

 

 結果は陰性でした。

 

 最後の接触から、2,3日たたないとウィルスが出ないかもしれないということで、もう一度、PCR検査を受けましたが、、、、、

 

 なんと今度は「陽性でした」

 

 今のところ、熱もなく、酸素飽和濃度も、96~98%の間なので、無症状化と思います。(ただもともと花粉症があるので、鼻詰まりは少しありますが)

 

 ということで、保健所の指示のもと1週間は外出が出来ません。

 

 大事な時ですが、仕方ありません。養生したいと思います。

 

 こんな時でも、後援会の方や、友達が、活動を手伝っていただいています。

 

 本当に、心の底から感謝申し上げます。

 

 

 

なぜ出馬なのか?その6~これまでを振り返る、現地建て替えの公約破れる編

病院特別検討委員会がスタート!1病院から2病院の建て替え議論へ

 答申が出たので、議員による特別委員会での議論がスタートしました。

 

 今でもよく覚えていますが、第1回目の審議では、市長の政治姿勢を問う保守系議員が続出し、審議に入るのに約1時間以上もかかりました。

 

 この日は、これまでの説明のみにとどまりましたが、6月をめどに、上本郷&東松戸の2病院の建て替え案を市から提案するとの話がありました。

 

病院の建て替え構想8案!審議へ!

 病院の建て替え場所を5か所、上本郷、千駄堀、運動公園、紙敷、高塚新田

に絞って、その組み合わせで8例の案が出てきました。

 

kousouan1.pdf (city.matsudo.chiba.jp)

 この8案の中で、市の推奨案は、構想6&7でした。

 構想6案は、上本郷に急性期病院として450床、高塚新田の東松戸病院を日常支援病院として250床で建て替えるもので、市長マニュフェスト通りのものでした。

 構想7案は、この逆パターンで、上本郷に日常支援病院を持ってくるもので、こちらもほぼ公約通りのものでした。

 

現地建て替えの公約崩れる~構想3を市の推奨案に!

 23年の9月議会、特別委員会で、保守系会派から、「構想6,7案とも急性期病院は450床となっている。

 答申では「600床は必要」となっているので、容認できない。」との声が上がりました。

 

 集中的に委員会が開催され、議論されましたが、とうとう、市長から、急性期病院を千駄堀に600床、日常支援病院を上本郷に200床で建て替える「構想3案」(東松戸病院から機能を移転)を推奨案としたいとの話が出てしまいました。

 

 まず、公約では、「600床は過剰で赤字に原因。450床に縮小すべきだ!」の部分はこれで完全に公約違反です。

 

 その員会では、私から市長に対して、相当な言葉で質問しましたが、考えは変わりませんでした。

 

 病院現地建て替えで議員になったもののわずか1年で、その公約が破られる現実を突きつけられるとは、、、、、思いもよりませんでした。

 

 市長に対する疑念は、又、強くなっていきました。

 

構想3案での公約部分を守れ!病院問題次のステージへ

 構想3案では、まず千駄堀に上本郷の急性期病院を移すが議論となり、紙敷(現東松戸)とどちらにするか?が議論となりました。

 

 私としては、構想3案では、公約の「上本郷病院の耐震性に問題のない2~5号館は使うべき!」と「救急病院は、地理的に松戸市の中央にあるべきだ!」の二つの部分は、なんとか守られるため、セカンドベストとして頭を切り替え議論に臨みました。

 

急性期病院をどちらに? 千駄堀VS紙敷

 まずは、建て替えが急がれる上本郷の急性期病院をどちらにするのか?の議論が委員会で交わされることになりましたが、個人的にはベット数は600床ではなく500床とか、550とかにすべきとの思いがありました。

 その後、喧々諤々の議論が約2年続き、決まったのはどちらか?

 

 皆さんのご存じの通りですが、ここでも裏で、、、、(つづく)

 

 

 

 

 

 

なぜ出馬なのか?その5

現地建て替えを検討する審議会の結成

 ようやく11月の市議会選挙へ、立候補を決めた私ですが、その前の9月議会、病院問題で動きがありました。

 

 市長提案で、病院の現地建て替えについて、有識者、公募市民で構成された審議会をつくる補正予算が可決となったのです。

 

 知識不足なので、「建て替えを決めるのに、わざわざこうした審議会をつくらないといけないんだ」と思うくらいであまり気には留めていませんでした。

 

 しかし、この審議会が後に大きな意味を持つになろうとは思いもよりませんでした。

 

 とりあえず、公募市民3人だったので、商店会の友人(医学部受験の経験あり)に頼み応募してもらい、こちらは公募市民となることが決定となりました。

 

見事当選!原ゆうじ市議会議員へ

 

 この市議選で私は、「現地1号館のみの建て替えは、これまでに検討されていません。一番安く済むであろうこの案をまずは検討し、移転案と堂々比較、そのうえで決定すべきです!」と訴えました。

 

 そして、平成22年11月、原ゆうじは、市議会議員初当選を果たしました。

 

いざ!市議会へ!病院問題決着を!

 そして、当選から間もなくの12月議会、議会での病院特別委員会のメンバーともなり、いざ!病院問題決着をと意気込んでいきました。

 

 しかし、病院問題は、まず、現地建て替え検討委員会での審議にまかされることになり、議員として、この問題の議論への参加が事実上できない状況となってしまいました。

 

 委員会は、有識者として、医師が4人入り、他にコンサルタントの方、公募市民3人の構成で、議論は当然、医療に詳しい医師が常にリードしていきました。

 

 その中で、まず議論となったのは、450床で三次救急を担う市立病院が成り立つのか?ということでした。

 

 医師たちは現行の600床ベースが必要との主張であり、600床なら1号館の建て替えは150ではなく300床ベースが必要ですが、それだとスペース的に困難なことが分かっています。

 つまりベット数600床なら現地建て替えは難しくなること意味していました。

 

友人と連夜の勉強&作戦会議

 このままだとマズイ! 

 そもそも病院は赤字です。その原因は、入院稼働率の低さです。

 当時は1日当たり約400人の入院患者さんでしたが、採算ラインは90%稼働の540人。あと140人が必要でしたがこれは難しい。

 こうした勉強会を病院に詳しい方も入れて友人とともに行いました。

 そして、こうした経営面からの主張で、何とか450床の正当性を議論してもらいました。

 

委員会の答申が出る!市長に疑念!

 翌年の3月、とうとう「現地建て替えは困難」との答申が異例の採決で決まってしまいました。

 

 又、もう一つの市立病院、東松戸病院の早期の建て替えを望む提言も出されました。

 

 今思えば、この段階で、市長に対する最初の疑念が生じたと思っています。

 

 現地1号館の建て替えを公約し、当選したのに、なぜ委員会を設置、議論を丸投げしてしまったのか?

 医師の立場からすれば、当然、小さいよりも大きな病院が良いと判断するだろうに、なぜ、医師を多く委員にしてしまったのか?

 

 こうした疑問を市長にぶつけたのを覚えています。

 

 この答申&提言を受け、病院の議論は、上本郷だけでなく東松戸病院の建て替えも議論されることになっていくのでした。       

                       つづく

 

 

 

 

 

 

 

なぜ出馬なのか?その4

 さて、民主党内での候補選に勝利し、いよいよ市長選へと進みましたが、予想通り、市立病院の建て替え問題が争点となりました。

 

本郷谷市議、現地、上本郷での建て替え案を主張!

 本郷谷当時市議は、川井当時市長の紙敷(現東松戸)への移転案に反対、現地、上本郷での1号館のみの建て替え案を対案として訴えを行いました。

 

 主な主張は3つでした。

①救急のかなめである市立病院は、地理的に松戸の中心部にあるべき!

②寝耳に水!紙敷移転決定のプロセスを市民へ明らかにすべきだ!

③1~5号館と建物が5つあるうち、耐震性不足なのは1号館のみ。であれば、1号館のみを建て替えるべきだ!

 

現地建て替え64億円!の本当の内容とは?

 この主張の内、特に③が、大きくクローズアップされ注目を集めました。

 特に、言葉として1人歩きしたのが、「現地建て替え64億円」のフレーズです。

 

 これは③の主張通り、全体613床の病院の内、耐震性のない1号館300床のみを

建て替えるということですが、加えて、1日当たりの平均入院患者数約400人を考慮して150床に縮小して建て替えるとの主張を本郷谷さんはしていました。

 

 現地での病院全面建て替えではなく、1号館のみを300床から150床へ減らしての建て替えだから、建設費は、64億円としたと我々は聞きました。

 

 対しての移転案は、ベット数600床、土地購入金を除いて約200億円の費用が掛かることが基本計画で明らかになっていました。

https://www.city.matsudo.chiba.jp/iryoutoshi/iryoutoshi/tatekae/keika.files/20101019181412.pdf

 

市長選に勝利!本郷谷新市長の誕生!

  紙敷への600床全面移転か、現地での1号館のみを150床で建て替え、全体で450床とする建て替え案か、

市を二分するかのような議論となりましたが、結果的には、皆さんご存じの通り、本郷谷さんの勝利となりました。

 

 地元上本郷では、普段の倍近い投票率となり、大きく新市長誕生への原動力となりました。

 私も運動に加わり、かつ、投票したその一人として、言葉にできないくらいうれしかったのを覚えています。

 

パン屋が、松戸市議会議員へ!

 これで、病院問題は決着したと私を含め地元の方々は思ったはずです。

 

 移転反対への陳情からはじまり、移転反対の市議会議員探し、住民投票、妻の入院、市長選と約1年間、本業の傍らこの病院問題にかかわってきましたので、ようやく「ほっと」し、子供が所属する少年野球チームにも参加できるようになっていました。

 

 そうした平穏な暮らし?にもどったのもつかの間、地元の皆さんと、新市長との懇談の場で、今後の進め方として、議会対応が課題ということが明らかになりました。

 

 当時も今も、自公系議員が多数を占める市議会。

「このままだと現地建て替え案は、議会に提案しても通らない可能性がある」と本郷谷さんから話がありました。

 

 その後、8月の終わり、地元町会(六中の先輩たち)から呼び出しがあり、「市長とも話したが、原さん、是非とも、市議会議員になってもらえないか」との話がありました。

 

 当然、本業(パン屋)がありますので、「即答は出来ません。妻とも相談してみます」と返事をしました。

 

 その後、色々な人から話を聞きました。

 病院問題をなんとか解決したいとの思いがある一方で、パン屋と議員の兼業は出来るのか?との不安も、、、、そうした中、一緒に市長選で応援した元市川市議のT氏(当時は、松戸市の特任部長)と話し、決断の後押しをもらい、

2週間あまり悩んだ末、11月の市議会選挙に立候補することを決断しました。

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ出馬なのか?その3

 いざ!決着は市長選へ、、、

 

 ということで、病院を守る最後の戦いと意気込んでいた平成22年3月、川井前市長との戦いの前に、立ちはだかったのが、某市内民間病院の総長でした。

 

ポイントは病院問題が争点!

 しかし、当時、本郷谷現市長(当時は市議会議員1期目)が所属していた民主党ではもう一人、市長候補に名乗りを挙げていて、それが病院の総長でした。

 そして、その総長の主張も「病院現地建て替え」でした。

 

 市長選は、明らかに、川井前市長方針の紙敷(現東松戸)への全面移転か、本郷谷現市長方針の現地1号館の建て替えという病院問題が一番の争点でしたので、医療の専門家である病院の総長の主張のほうが、同じ内容を言ったとしても、より現実的で実現性のあるものと捉える方も多く出てきました。

 

民主党内での候補者争い!病院総長VS本郷谷

 そして、当時の民主党は、政権交代となったばかりで、とても人気がありました。

 なので、この民主党内での市長候補選は当時注目されていたように記憶しています。

 そしてこの戦いに勝たなければ、民主党の支持で、市長選に出ることが出来ません。

 今から思えば、ここが現市長にとって、最大の正念場であったように個人的には思えます。

 

 住民投票の署名活動など、一緒に活動してきたこれまでの経緯からも、何とか本郷谷さんをと思っていましたが、聞こえてくるのは劣勢の噂でした。

 

 そして、この勝負は、無作為によるアンケート調査結果で決まると聞いていました。

 

運命のアンケート調査結果は?

 私は、民主党員でもなかったので、詳細は分かりませんでしたが、結果は、総長側の勝利と聞きました。

 

 終わった、、、

 

 と思いましたが、本郷谷後援会の方から連絡があり、「調査会社と総長側の病院とで、取引関係があったようで、それが原因で今回の結果は無効になった」と聞きました。

 

 詳細は、よくわかりませんでしたが、どうやら首の皮一枚でつながった様でした。

 

 同時に、この候補者争いは、民主党の理事会で決定されるとも聞きました。

 

 こうなると、私にはもう祈ることぐらいしかないなと思っていましたが、ある日の朝、電話が鳴り、「今から2時間後に、理事会が始まる。商店会をはじめ、地元は、本郷谷支持ということを、六区の支部長であるU代議士に伝えてくれないか」との依頼があり、U代議士の携帯番号を告げられました。

 

 すぐに町会長たちと相談し、結局、電話をすることに、、、、

 国会議員に電話するということで、緊張しましたが、思い切って電話。名前を告げると、「原さんのこともお店のことも知ってるよ」と言っていただき、ほっとしたのをよく覚えています。

 そして、用件を伝えると「お気持ちはよくわかります。私も上本郷の人間ですから」と言っていただきました。

 

 そして、その日の夜。本郷谷さんから電話があり、「何とか私に決まった。いろいろとありがとう」と言われ、すごくうれしい気持ちと、これでようやく市長選のスタートラインに立ったと改めて思いました。

 

 そして、ここから約1か月半、6月に向けての市長選応援が始まることとなりました。  (つづく)